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WISTORY 管理人日記/ボルドーを決定づけた17世紀ー1

管理人コラム

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ボルドーを決定づけた17世紀ー1

2014-12-19

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シャンパーニュのカリスマがドン・ピエール・ペリニヨンだとすれば、ボルドーのカリスマはポンタック家のアルノーⅢ世(ArnaudⅢ de Pontac)ということになりそうだ。
ドン・ペリニヨンは1638~1715年、アルノーⅢ世は1599~1681年なので、アルノーの方が一世代年上だがほぼ同時代の人だ。

■ <ボルドーの赤>を方向付けたアルノーⅢ世

今でこそワインといえばボルドーであり、ボルドーといえば主として赤ワインだが、元々ボルドーで造られていたのはクラレットと呼ばれる軽い赤ワインで、その多くがイングランドへ輸出されていた。というのも、12世紀から15世紀に渡ってボルドーはイングランドの支配下にあったからだ。

ポンタック家は商業家で、ジャン・ポンタック(Jean de Pontac)が1533年にオー・ブリオンの畑を入手し、ワイン・ビジネスを始めた。彼の死後を孫のアルノーⅡ世が継ぎ、その次を継いだのがアルノーⅢ世(アルノーⅡ世の甥の息子)である。当時はまだ軽い早飲みのクラレットだった。

アルノーⅢ世はボルドーの赤ワインに改革を起こす。マセラシオンや発酵に時間をかけて、色が濃くてアルコール度も高い原酒を造り、樽の中で長期間寝かしても劣化しない造り方に変えたそうだ。つまり樽の中で時間とともに目減りした分を補うという方法だ。こうして造られた新しいタイプのボルドーの赤は1663年に初出荷された。現在のボルドーの赤の基本となる造り方の誕生である。

■ 宣伝にも長けていたアルノーⅢ世

既にイングランドと太いパイプを持っていたポンタック家ではあったが、新タイプの製品を浸透させるためにアルノーⅢ世は思い切ったプロモーションを実行した。何と、ロンドンにオー・ブリオンを飲んでもらえる店?を出したのだ。これが酒場の原型とも言われていて、オシャレな社交場となり、新オー・ブリオンの宣伝に大きく貢献した。

また彼は、<cru>という概念の提唱者でもある。土壌や気候に裏打ちされた特別な畑としての<cru>である。

彼はボルドー議会の初代議長でもあったから、政治家のトップ自らが、プロデューサーであり、セールスマンだったということになる。

これがボルドーのカリスマ、アルノーⅢ世の簡潔なエピソードである。
(写真は、ポンタック・ソースのサイトより)




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