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WISTORY 管理人日記の表示/ワインの成り立ち

管理人コラム

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コロナ下で会食を楽しむ

カテゴリー:ワインの成り立ち

2020-07-07

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5月21日に緊急事態宣言が解除されてから、私は何回か会食をしています。

フレンチのランチ1回、イタリアンのランチ1回、ワイン会2回、昼飲み会1回(テラス席)、鮎料理1回(旅館の食堂)。これらは日常のランチでの外食とはちがって、ちゃんとコース料理を食べたり、そこにワインが伴ったりしたケースで、長時間おしゃべりもしています。

最後が7月2日@大阪なので、それから5日が過ぎましたので、おそらく全部セーフです。

コロナ下の会食でも条件がそろえば大丈夫だし、別の条件がそろえばヤバイ。私の場合は、ともかくゆったりとしたスペースで利用できるところに限定しています。ただし、店によっては満席だった李したのですが・・・。

逆に避けている場所は、肩を寄せ合うほど狭い居酒屋とか、地下の空気の流れの悪いバーとかそういうところには行きません。そうした場所で営業して来られたお店には大変申し訳ないのですが、この時期は致し方ないですね。

皆さんも気を付けながら、お酒やお食事を楽しんでくださいね。


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カオールを久しぶりに飲んで

カテゴリー:ワインの成り立ち

2015-10-09

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1980年代、安くて旨い赤ワインと言えば「カオール(Cahors)」だった。今でこそ、世界中から比較的安くて旨いワインが日本に入ってくるが、当時はそれほど種類が多くなかった気がする。

■ カオールは何処?

地図でいうと、ボルドーのある大西洋側から斜め右に直線を下ろして地中海まで線を引くとしよう。その線の大西洋と地中海の丁度真ん中あたりにカオールはある。だから、カオールは大西洋と地中海の両方の影響を受けるらしい。

しかし、カオールを流れるロト(Lot)川は、ボルドーで大西洋にそそぐジロンド川の2つの支流のうち、南側に分かれるガロンヌ川のそのまた支流である。

■ 強烈に蛇行するロト川

図はカオールAOCの公式サイトである。中央にうねうねとした水色の線が見えるのがロト川。蛇行しながらゆっくりと流れているようだ。そのおかげで、ロトの谷には水蒸気が放出されて、夜間のぶどうの熟成に貢献しているらしい。元来、ボルドーよりも降水量が少ないとはいえ、この水蒸気が調整役を果たしているという。

■ マルベックと黒ワイン

ここで栽培されるマルベックは非常にタンニンが豊富で発色が良く、そこへもってボルドーよりも乾燥した気候で収穫期に暑くて乾燥した風が吹き、果汁が凝縮された実が収穫できるから、濃厚なワインができる。Vin Noirと呼ばれるほど濃いということだ。

カオールがAOCとして認められたのは1971年である。実はこの地では2000年前からローマ人がやってきてワイン造りを始めたといい、フランスの貴族であったアンジュー伯アンリが1154年にイングランド王になる頃には現在のイギリスへカオールのワインが輸出され、大変人気があったらしい。しかし、フィロキセラ禍でほぼ全滅し、再びマルベックのぶどう園が回復してAOCを取得したのが1971年だそうだ。

■ マルベックによる差異化

アルザスのワインや、IGP以外のフランス・ワインにはぶどう品種が表示されないのが一般的だった。しかし、現在のカオールのAOPワインにはぶどう品種である「Malbec」の文字が表記されている。

カオールはマルベックに誇りを持ち、近くのボルドーに対する差異化という意味でもいち早くぶどう品種をラベルに表示し始めたという。そして法律が後追いする形で、2012年からAOPワインに品種の表記が認められるようになったそうだ(出典:Le Goût des cépage)。

単にリーズナブルだからとカオールを飲むのではなく、カオールを飲むという事は、マルベックを飲むということだと思いつつ、歴史や蛇行する川に思いを巡らせながら飲んでいきたいと思う。


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ボルドーを決定づけた17世紀ー2

カテゴリー:ワインの成り立ち

2014-12-19

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1453年に、それまでイングランド領だったボルドー地方はフランスに奪還された。そして、1600年頃のボルドーはフランス領で、当時の国王はアンリⅣ世である。アンリⅣ世はオランダからConrad Gaussenを呼んで、1599年から現在のメドックの干拓を始めた。

■ 湿地をぶどう園に変身させる

干拓が行われる前のメドックやオー・メドックは湿地だった。そして段階をふんで干拓が進められ、広大な農地が生まれた。

ブルゴーニュにしても、シャンパーニュにしても、ぶどうが植わっているのはまず斜面だし、斜面だからこそ太陽の恩恵が増幅される。対してメドックはどうたろう? 元々湿地だったところを干拓した平らな土地? そんなところで育ったぶどうから良いワインが出来るのかね?

意地悪な人間でなくても、そんな疑問を抱くであろうことは想像がつく。

オランダ人もそれを危惧しただろうし、母国での経験もあったのだろう。彼らはテロワールに興味を持ち、独特のぶどう品種との融合を図ったという。

■ ウンチクは必然から生まれた?

これは私の想像だけれど、新参の土地だからこそ、努力もウンチクも必要だったのではないだろうか? 正当化し、有難いものと思ってもらうためのウンチクである。

ここの土壌は○○と△△で、なんたらかんたら・・・・。そして立派なシャトーを建て、買い付けに来た商人を接待したり、PRしたりと。

1855年のパリ万博時の格付けだってこの土地のワインを少しでも高く、少しでも多く世界に売り出すための大作戦だったわけ。(すっごい頑張ったんだねえ)

干拓と前に述べたアルノーⅢ世の功績は、現在のボルドーを決定づけたばかりか、現在ワインを語る時に当たり前のように付いて回るテロワールだの格付けだの、何やかやにも多大な影響を与えたようだ。

ちなみに、広義のメドック地域にあるシャトー・マルゴー等の格付け第1級は、元々湿地の中に島のようにあった丘だそうだ。

(写真は、メドック・ワインの公式サイトより)


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ボルドーを決定づけた17世紀ー1

カテゴリー:ワインの成り立ち

2014-12-19

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シャンパーニュのカリスマがドン・ピエール・ペリニヨンだとすれば、ボルドーのカリスマはポンタック家のアルノーⅢ世(ArnaudⅢ de Pontac)ということになりそうだ。
ドン・ペリニヨンは1638~1715年、アルノーⅢ世は1599~1681年なので、アルノーの方が一世代年上だがほぼ同時代の人だ。

■ <ボルドーの赤>を方向付けたアルノーⅢ世

今でこそワインといえばボルドーであり、ボルドーといえば主として赤ワインだが、元々ボルドーで造られていたのはクラレットと呼ばれる軽い赤ワインで、その多くがイングランドへ輸出されていた。というのも、12世紀から15世紀に渡ってボルドーはイングランドの支配下にあったからだ。

ポンタック家は商業家で、ジャン・ポンタック(Jean de Pontac)が1533年にオー・ブリオンの畑を入手し、ワイン・ビジネスを始めた。彼の死後を孫のアルノーⅡ世が継ぎ、その次を継いだのがアルノーⅢ世(アルノーⅡ世の甥の息子)である。当時はまだ軽い早飲みのクラレットだった。

アルノーⅢ世はボルドーの赤ワインに改革を起こす。マセラシオンや発酵に時間をかけて、色が濃くてアルコール度も高い原酒を造り、樽の中で長期間寝かしても劣化しない造り方に変えたそうだ。つまり樽の中で時間とともに目減りした分を補うという方法だ。こうして造られた新しいタイプのボルドーの赤は1663年に初出荷された。現在のボルドーの赤の基本となる造り方の誕生である。

■ 宣伝にも長けていたアルノーⅢ世

既にイングランドと太いパイプを持っていたポンタック家ではあったが、新タイプの製品を浸透させるためにアルノーⅢ世は思い切ったプロモーションを実行した。何と、ロンドンにオー・ブリオンを飲んでもらえる店?を出したのだ。これが酒場の原型とも言われていて、オシャレな社交場となり、新オー・ブリオンの宣伝に大きく貢献した。

また彼は、<cru>という概念の提唱者でもある。土壌や気候に裏打ちされた特別な畑としての<cru>である。

彼はボルドー議会の初代議長でもあったから、政治家のトップ自らが、プロデューサーであり、セールスマンだったということになる。

これがボルドーのカリスマ、アルノーⅢ世の簡潔なエピソードである。
(写真は、ポンタック・ソースのサイトより)


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一人のカリスマの力 ドン・ピエール・ペリニヨン

カテゴリー:ワインの成り立ち

2013-06-27

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どんな世界でも、一人のカリスマの出現によって、大きな変化を遂げる時がありますね。
近年では、スティーブ・ジョブス。彼によって、パソコンやプレ
ーヤーやスマートフォンの世界が大きく変わり、私たちの暮らしに深く影響するようになりましたね。

■ ドンペリ、ドンペリというけれど・・・

ドン・ペリニヨンといえば、言わずと知れたシャンパーニュで最も有名と言ってもいいブランド。なんだか、日本ではホストクラブのイメージが付きまとうようになっております。

ドン・ペリニヨンは、修道士でシャンパーニュを発泡ワインの銘醸地にするきっかけを作った、ドン・ピエール・ペリニヨンの名前を冠したシャンパーニュです。


彼はシャンパーニュ地方に赴任する前に、南フランスのリムーという地域の修道院にいて、そこで発泡ワインが造られているのを知ったそうです。もし彼がリムーでの暮らしを経験していなかったら、現在のようなシャンパーニュは生まれなかったかも知れないというわけ。

そんなこともあって、最近私はリムーの発泡酒をよく飲むようになりました。

■ 改革するエネルギーを持ったカリスマ

しかし、単にリムーの発泡ワインを知っていただけでは、今のシャンパーニュにはならなかったでしょう。やはり、ピエールが凄い改革精神というか、ヤル気を持った人物だったからこそ、それまで赤ワインなんかを造っていたシャンパーニュ地方を発泡ワインの聖地にまで高めることができたと思います。

一人のカリスマが歴史を変えたわけですね。

■ ボージョレのカリスマ

ボージョレ・ヌーボをこれほど有名にしたカリスマは、ジョルジ
ュ・デュブッフさんです。昔から地元では新酒祭りをやっていたのですが、それを世界で新酒が飲めるように仕掛けてヒットさせた人物です。

ドン・ピエール・ペリニヨンさんと並べて語るのは恐れ多い、というのも、ボージョレは安物だし、ワインそのものを変えたわけでもないですからね。
でもカリスマであることは確かです。


タイトルINDEX

(ワインの成り立ち)



2020-07-07
コロナ下で会食を楽しむ


2015-10-09
カオールを久しぶりに飲んで


2014-12-19
ボルドーを決定づけた17世紀ー2


2014-12-19
ボルドーを決定づけた17世紀ー1


2013-06-27
一人のカリスマの力 ドン・ピエール・ペリニヨン


2013-06-13
フランスを二分するロワール川


2013-05-22
シャンパーニュとケスタ2


2013-05-01
シャンパーニュとケスタ


2013-01-16
偉大なるカベルネ


2012-11-29
ボージョレーとガメイのお話



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